第四章 御者の息子
〔訳注:前章では御者アディラタの息子カルナが登場した。カルナは王宮への侵入者と闘って武勇を示し、ハスティナープラの宰相ヴィドゥラから、王子たちの師匠ドローナに紹介するという言葉を引き出した〕
カルナはかつて、弓手になりたいという密かな願いを両親に告げたことがあった。父親はその後数日間、ずっと口を閉ざしていた。それから数週間、母は何度かその件を持ち出したけれど、父親が返したのは唸り声だけだった。カルナは待った。心臓を激しく脈打たせながら、父が同意してくれるようシヴァ神に祈りながら。そんなある日、アディラタはカルナを寺院へと連れ出した。彼らは低層のカーストに属していたため、奥の聖域には入れなかったが、幸いなことに塀で囲われた屋外であれば祈りを捧げても許された。巨大な菩提樹《ぼだいじゅ》の下、小高く作られた足場に、学匠《アーチャーリヤ》クリパが座り、友人たちと議論していた。彼らはちょうど賽子《さいころ》遊びの真っ最中で、学匠は今しも仲間の一人を打ち負かそうとしていた。そこに父子が歩み寄った。
アディラタは敬意の表現として、肩にかけていた布《アンガヴァストラ》を取り、腰の周りに巻き直していた。彼は学匠から数歩離れたところに立ち、バラモンに話しかけようとするスータ〔訳注:作中ではカースト名として扱われる。記事末解説も参照〕らしいうやうやしさで目を伏せていた。カルナは父の背後でやきもきしながら待った。クリパが議論をやめ、驚いた顔でアディラタを見やった。
(この御者、ここで何をしているのだ?)
「先生《スヴァーミー》、厚かましくもお願いがございます……」
「俺の財布は割れた土鍋並みに空っぽだ。お前さんに貸せる金はない。あったなら、酒場で葡萄酒《ぶどうしゅ》をもう何杯か引っかけてきたかったところさな」
言って学匠は陽気な高笑いを発した。
クリパは型破りなバラモンだとカルナは知っていた。社会や道徳の規範を全く気にしない人だ。とはいえ学匠ドローナがやってきた今、文武両道のクリパであっても王子たちの教師役をクビになるのではないかという噂が王宮中で囁かれている。当のクリパは何ひとつ気にしていないかのようにふるまっていた。他のバラモンたちが祈りや沐浴に精を出している早朝から、酒場に顔を出しては悪友たちと笑い転げているのだ。保守的なバラモンたちは、クリパの非凡さを、世間と没交渉で生きるべき自分たちへの脅威と見なしていた。もう一つの問題は、クリパはそういったバラモンたちの誰よりも深く聖典を理解しているということだった――しかも常に議論や喧嘩のきっかけを探しており、大胆にも挑戦しようという者があればすぐに応戦するのだ。だが挑戦者たちは、クリパが投げかける聖典についての問いにまるで答えられない。クリパは公の場で彼らを軽んじることによって、厳格なカースト規則を嘲笑ってみせる。そしてヴェーダやウパニシャッドを引き、自らの行動を正当化するのだった。この変わり者であれば助けの手を差し伸べてくれるかもしれない――そんな淡い期待を父は抱いているのだとカルナには分かった。
「先生、施しを求めて参ったのではございません。これは私の息子、カルナです。戦士になるため、あなた様の教えを受けたいと望んでおります」
「ほう! 戦士になりたいと」
クリパは座っていた足場から飛び降り、カルナの方へと駆けてきた。カルナと顔がかち合う寸前で止まり、じっと目を覗き込んでくる。カルナは本能的にたじろぎ、数歩退いた。バラモンにうっかり触れてしまい、カースト間の禁忌を犯すのが怖かったのだ。父親が愕然としているのがカルナには見えた。これほど距離を詰めている時点で、クリパはすでにカーストの規則を破っているのだ。門のそばでは寺院の僧侶が顔を思いきりしかめながら様子を見ていた。クリパにぐいと押されてカルナはよろめく。そのまま長い髪をつかまれ、片手で引っ張り上げられた。クリパはカルナの頬を平手で打ち、強い左の拳を腹に叩き込んだ。カルナは痛みに顔をゆがめたが、頑として声は挙げなかった。
「先生……先生……どうか殴らないでくださいませ」
アディラタが懇願した。
「愚か者め! この程度で『殴る』とは言えんわ。お前の息子には勇気がある。ちゃんとした訓練を受けさせれば、よい戦士になれようぞ。痛みに耐えられるのだからな」
クリパはカルナを地面に落とし、無駄のない動きで再び足場に飛び乗った。そして腰を下ろし、長く黒い髭を指で梳いた。
「息子に教えを授けてくださるのですか、先生?」
アディラタの目から、こらえきれない喜びの涙があふれ出た。
「断る理由がどこにある?」
クリパの厚い唇に悪戯っぽい笑みが浮かんだ。
「なにせ、息子はスータで……つまり、我々はシュードラの種姓《ヴァルナ》でございますから」
「あるいはナーガか、ニシャーダか、ムレーッチャ〔訳注:異教徒〕か。なぜ俺がそんなことを気にせねばならない? こいつはよい戦士になるぞ」
クリパはカルナに視線を向ける。カルナは誇りと喜びで満面の笑みを浮かべていた。
「いつ息子を御元に向かわせればよろしいでしょうか、先生?」
アディラタは手を合わせ、深々と頭を下げながら問うた。
「金貨千枚を準備できたら来るがよい」
平然とクリパは答えた。
「そんな……」
アディラタは耳を疑った。金貨千枚など、六十になるまでハスティナープラの政権に仕えたとしても到底稼げるはずのない額だ。
「我々は貧しいのでございます、先生……」
「それは俺のせいではないぞ、我が友よ。俺はお前の息子のカーストなど気にせん。俺が気にかけるのは金だ。酒は高いし、人生において愉しむべきものは皆、同様に金がかかる。そして俺の賭け事の腕は、武術には劣るのだ。金が集まったら息子を連れてこい。そうすればインドで一番の戦士に育て上げてやろう。無理ならお前のような御者にさせることだ」
「ですが、先生……」
「愚か者! 俺は一日お前と話していられるほど暇ではないのだ。友人たちもしびれを切らしておる。金を持ってこい。そうすればまた話そう」
クリパは父子に背を向け、賽子遊びを再開した。
父子は無言で立ち尽くした。一言も言葉を交わせなかった。太陽は空高く昇り、平原から吹く熱い風に土埃が舞っていた。僧侶はいつしか、捧げものを持ってきた金持ちの商人と共に、寺院の中へと消えていた。カルナは父親の顔を見られなかった。クリパの平手打ちと腹への一撃が今になって痛み始めていた。シュードラには教えられぬ、と拒まれた方がよほどましだった。カルナは恥じ入って顔を背けた。
アディラタはカルナの肩に手を置いた。少年は顔を上げ、父の目にたまった涙が光るのを見た。その瞬間、カルナは己を嫌悪した。どうして同じカーストの同輩たちのようになれないのだろう? 戦士だなんて! 御者の息子である自分ごときが。カルナは誓った。自らのカーストの職務を覚え、この地で一番の御者を目指し、父に誇らしく思ってもらおうと。
「カルナ、心配するな。なんとかなるはずだ。少なくとも先生は、お前が下位のカーストだからお断りなさったわけではない。戦車とうちのあばら家を売れば、金貨数百枚にはなるだろう。そのあとは別の仕事を探す。なんとかなるよ」
「戦士にはなりたくありません、父上。忘れましょう。ただのくだらない夢だったんです」
「カルナ……聞きなさい……」
「父上、もう戦士になりたいとは思わないのです。戦車の駆り方を教えてください。僕のために戦車と家を売るなんて言わないでください」
カルナの体は怒りと恥で震えていた。
道をゆく人々が立ち止まり、二人を見つめる。ざわつく声を聞いたクリパが振り返った。カルナの心臓は一瞬、止まった。もしかすると今のは学匠の悪ふざけだったのかもしれない。自分たちを呼び戻して、金貨千枚を要求したのは冗談だったと、カルナも明日から授業に加わればよいと言ってくれるのだ。
「さっさと失せろ、ろくでなしども。大騒ぎになっているではないか! まったく、聖牛《ナンディン》にかけて、賽子遊びさえバカ者どものわめき声で邪魔されてかなわん」
クリパは念押しとばかりに辛辣な罵倒を交えた言葉を投げつけてきた。
寺院の鐘が鳴り響く中、父子は質素な小屋へときびすを返した。時折カラスが鳴く声と、クリパの一団が上げる笑いや歓声が、重苦しい空気の中を伝わり、埃っぽい道をわびしく歩く二人を追ってきた。家に着いたカルナは、何も言わずに裏手の井戸へ向かった。深く遠くで揺れる水面に映った美しい顔を、彼は見つめた。一瞬、水の中に飛び込んですべてを終わらせてしまいたい衝動に駆られた。だがすぐに、すすり泣く母の声、涙に割れる父の声が耳に届いて、カルナは歯を食いしばった。僕には両親に仕える義務があるんだ、と彼は思った。一生ただの御者にしかなれないと思うと、心が砕けそうだった。両親に抱く愛情がなかりせば、彼はこの日、井戸の暗い水底に安息を求めていただろう。
****
ヴィドゥラがカルナを学匠《アーチャーリヤ》ドローナに推薦すると言い出すまで、父子がこの件についてクリパと再び話すことはなかった。カルナは戦士になるという希望をすっかり捨てており、死ぬまで従者たることを甘んじて受け入れていた。だが今、新たな希望が彼の胸に小さく芽生えた。とうとうシヴァ神が哀れなスータの少年に慈悲をかけてくださったのだ。
カルナは日の出のはるか前に起床し、朝の沐浴を済ませた。興奮を抑えることができなかった。小さな泥造りの露台を行ったり来たりし、父が姿を現すのを待った。空気をつんざくように響くカラスの声さえ、今の彼の耳には音楽のようだった。早起きの者たちが数名、川に続く階段《ガート》へと急ぐ。そよ風が吹き、遠くからジャスミンの香りと寺院の鐘の涼しい音を運んできた。先に家を出てきたラーダーが、カルナに牛乳の入った杯を渡した。カルナは時を惜しんでそれを飲み干し、真鍮の杯を床に叩きつけるように置いた。ラーダーは彼の髪をかき回し、耳飾りを揺らした。
「父上はどこですか?」
母の愛情表現から逃れようと身をよじりつつカルナは問うた。母は微笑みを浮かべた。おそらく自分たちを見送ったら、すぐに家を飛び出して近所の人々に幸運を知らせに行くつもりなのだろうとカルナは思った。ようやくだ! 父が祈祷室から出てきた! カルナは露台を飛び降りて通りに走り出た。
「カルナ、そう焦るな。お祈りはしたのか?」
カルナは苛立った。朝早いうちに、とっくに済ませたのに。けれど今ここで父と言い合いになっては最悪だった。彼は足を止め、サフラン色に染まりつつある東の空を見上げた。燦然たる太陽が慈愛を振りまくように輝いていた。カルナは目を閉じた。この美しい光景を切り取り、頭の中にしっかりと刻み付けるかのように。祈りの言葉は浮かばなかった。あまりに鮮烈な感情が渦巻く中、言葉の不在に彼はかえって感謝した。輝く太陽と自分がひとつであるかのように感じた。太陽は万物に滲みわたる光でカルナを撫でる。彼の心は凪ぎ、満たされ、幸せにあふれていた。だがアディラタの手が肩に触れたので、しぶしぶ陶酔状態から己を引き戻した。カルナは父に微笑みかけ、足早に王宮へと歩き始めた。アディラタが振り返ると、粗末な家の前に妻が立ち、目に涙を浮かべていた。自分の目にもにじむ涙を見られぬよう、アディラタは顔を背けた。カルナはすでに何歩も先にいる。元気凛々の息子に追いつくべく、彼は足を速めた。彼らは寺院と菩提樹のそばを通り過ぎた。そこではクリパと悪友たちがまたしても賽子《さいころ》遊びに興じていた。学匠クリパはアディラタを呼んだが、御者と息子は耳を傾ける暇もなく先を急いだ――退廃的なバラモンの大笑いが耳にがんがんと響いた。
二人は砦の内門で衛兵に止められ、訪問の目的を告げた。衛兵長は彼らを疑わしげにねめつけてから、伝令の兵士を宮殿内へと送った。しばらくして戻ってきた伝令兵によれば、ヴィドゥラは摂政ビーシュマと会議中だという。父子はその場で待つようにと言われた。彼らは戸外で待った。太陽がありえないほどに熱くなり、足下の影が小さな黒い水溜まりのように縮まるまで。時が経てば経つほど彼らの不安は強まった。宮殿の中から兵士が出てくるたびに、彼らの胸の鼓動は速まった。ほとんど希望を失い、宰相は自らの言葉を忘れてしまったのだろうと思ったころ、お呼びがかかった。衛兵の示す先には、宮殿の庭の片隅に立つヴィドゥラの姿があった。剣のぶつかり合う音がかすかに聞こえ、ドローナが大声で指示を発していた。
ヴィドゥラは父子に微笑み、待たせたことを詫びた。これほど謙虚にふるまうヴィドゥラは、果たして外面を取り繕っているだけなのか、それとも真に善き人なのか、カルナには判断がつかなかった。彼らは砦の第一門・第二門を共に潜り、王宮の果樹園へと足を踏み入れた。カルナが訓練場に近づくと、スヨーダナ王子とその弟スフシャーサナが隅で正座し、屈辱に頭を垂れている姿が目に入った。ドローナは、パーンダヴァの三男アルジュナの構えと狙いを改めるのに専心している。ドローナに似た小柄なバラモンの少年が王子たちの射た矢を集めており、大柄な男子が棍棒の練習をしていた。他の少年たちは、弓弦を引くアルジュナを見つめている。彼の矢はわずかに的を外し、ドローナは苛立ちにかぶりを振った。だがカルナは少年の正確さに感嘆した。まるで熟練の戦士のように射るものだ。ドローナによる訓練が始まってまだ数週間なのに。いつか自分もあのように射ることができるかもしれない――そう御者の息子は思った。
「師範《グル》よ」
ヴィドゥラが敬意を込めてドローナを呼んだ。
しばしの――しかし永遠にも思えるほど長い間、ドローナは彼らを一顧だにしなかった。彼がとうとう振り向いたとき、カルナはその表情を見てたじろいだ。これから何が起こるのか、彼には本能的に理解できてしまった。
「ここに、宰相殿。いかなるご用で?」
ドローナは手の一振りで生徒たちを沈黙させた。
「これなるはカルナです」
ヴィドゥラは少年を父親の背後から引き出した。
「我が友、アディラタの息子にございます」
「授業の最中なのですがね、宰相殿」
「師よ、カルナはあなたの教えを受けたいと願っているのです……」
宰相の側も自信がないのだろうことが声色から感じられた。ドローナは長いこと黙しており、カルナの心臓は今にも止まりそうだった。彼は両の拳を固く握った。
「宰相殿、私は王家の人間に訓練を施す役目にて」
ドローナはとうとう言った。
「この少年は昨日、我らが王国に多大な貢献をしたのです。私は彼に約束を……」
「もう一度申し上げますぞ、宰相殿。私の授業は王子たちのためだけのものでございます」
ドローナは顔を背け、両の腕を組んだ。
「ですが、ビーシュマ大摂政にも既に話を通しております。あなたのご同意さえあれば、この少年を生徒に加えても問題ないと。それどころか、ハスティナープラには戦士がいくらいても足りないのだからと仰せでした」
「偉大なる宰相殿。我が口から申したくはなかったが、あなたのせいでそうせざるをえない。彼の属するカーストを問うていただきたい」
「しかし、それに何の関係が……」
「あなたが同情なさるのは分かる。あなたも彼らの仲間なのですからな。この少年はスータ、下等なる御者のカーストです。バラモンの私に、それでもなお彼に教えを授けよと?」
ヴィドゥラの顔に屈辱と恥辱で朱がのぼった。王宮内の階層でいえば、彼は師範たるドローナよりもはるかに上だった。だがカーストが上の者に歯向かうだけの自信を彼は欠いていた。カルナはこれ以上議論を聞いていたくはなかった。もうおしまいだと分かっていた。父に強く抱きしめられたけれど、涙をこらえることができなかった。
ドローナは挑むようにヴィドゥラを見た。
「軽々しくここへ来て、下等カーストの子を生徒として私に押しつけられるとは、ゆめ思いなさるな。宰相であるあなたは私を職から解くこともできる。もしそう命じられるのであれば、私は妻子を連れてハスティナープラを離れましょうぞ。そのまま飢えて死ぬか、あるいはバラモンに敬意を払い、信仰に反する行動を強いることのない別の王国で働くか。シュードラから命令を受けるくらいならば飢える方がよほどましだ。あなたとビーシュマ殿の思うままになされよ。だが私は下等カーストの者は決して教えぬ」
スヨーダナ王子が正座の姿勢から立ち上がった。ドローナはそれを見ていた。
「愚か者が! 私の授業で生意気は許さぬぞ。言われたとおりにせよ」
スヨーダナは再び膝を折った。
「ドローナ、その言葉は王国と王息《おうそく》への侮辱だ! 物事には限度というものがあるぞ」
ヴィドゥラが剣を抜いた。
「下等カーストの者が私を脅そうというのか? シュードラの宰相、盲目の王、そして傲慢な王息! スータが戦士になりたがるのも当然だ。次はニシャーダが我が生徒になりたがることだろうよ!」
カルナは自分のことよりも、宰相の痛みがつらかった。ヴィドゥラが必死に怒りを抑えようとしているのが彼には分かった。
「いずれビーシュマ殿よりお言葉があるでしょう」
ヴィドゥラはわざとらしいほどのうやうやしさでドローナに深々と礼を取った。
嘲りの一礼は、物理の一撃よりも効果があった。
「貴様……貴様ッ……よくもバラモンを侮辱したな! よかろう、ハスティナープラを試そうではないか。バラモンの嘆きを聞く耳があるか、それともシュードラの不平にしか耳を貸さぬのか。さあ、訓練場から立ち去れ。ここはクシャトリヤのための場所だ。お前のような者の居場所ではない。御者とお前の同輩どもを連れてゆけ。クル族の大摂政がお呼びになれば私は応えようぞ」
それに答えることなく、ヴィドゥラは立ち去った。カルナはこうべを垂れ、彼に従った。アディラタだけがしばしその場に立ち止まったが、やがて重い心を抱えてきびすを返した。
***
ドローナは哀れな御者の顔を見たくなかった。あの少年には偉大なる戦士に育つ素質がある。そのことは分かっていた。タクシャカの襲撃があった夜、彼が砦を守るのを見ていたのだから。だがあの少年は不運なことに、生まれるカーストを誤ったのだ。ひとりの人間としてのドローナは、息子の望みを叶えんとする父親には共感できた。だが彼は、自らの師《グル》であるパラシュラーマに、カーストの純性と聖性を信じるよう育て上げられており、その則《のり》を破ろうとは一切思わなかったのだ。自らとは似つかぬ義兄クリパを、ドローナは嫌悪し、恐れていた。学者としてのクリパはドローナを上回っており、ひょっとすると武芸でも勝っているかもしれなかった。だがクリパは頼れぬ一匹狼だ。彼は意図して規則を破ることに喜びを見出していた。ドローナにはそんなことは許されなかった。
(私は息子を養わなければならないのだ)
そうドローナは思う。アシュヴァッターマンを見やれば愛おしさにあふれ、彼の目にも光が宿る。だがアシュヴァッターマンの双眸はというと、歩き去る御者の息子にまっすぐ向けられていた。
(ろくでなしのスヨーダナに出会うまでは、息子は本当によい子だったのに。あれが我が子を腐らせたのだ)
師範《グル》は深い恨みとともに思う。だがハスティナープラで雇われている限り、給金はよいのだ。とはいえ今度は、ヴィドゥラが摂政におかしなことを吹き込み、自分を辞めさせにかかるのではないかという心配が生じてしまった。また貧困へと舞い戻るのか? 息子はどうなる? 立場をわきまえぬ夢を抱いた愚かな御者のせいで、こんな目に遭わねばならないのか?
スヨーダナを見ていると義兄クリパを思い出す。少年の方が意志の力はよほど強いとはいえ、だ。あの少年は何にでも疑問を呈した。それらの疑問はほとんどの場合、答えようのないものだった。彼がいると、まるで自分が不適格であるかのように感じる。だからドローナは、教師が自分の嫌う生徒に対してのみ発揮できる残忍さで、スヨーダナに応答した。彼はスヨーダナを傲慢だと見なし、最も刺さるやり方で――彼の技術や知性をパーンダヴァ兄弟と比較することによって――攻撃し、少しでも隙があれば彼を貶めた。少年の反骨精神を圧《お》し潰し、社会の枠に嵌まるように牙を抜きたかった。ドローナは直感していたのだ。力ある人物にこのような精神が宿っていては、災厄しかもたらされぬことを。この少年の中にある野生の力を手懐けないことには、彼はやがてこの国を揺るがし、自らの思うままに弄びうる。ドローナは、生徒たちが社会に順応するよう陶冶することこそ教師としての義務だと考えていた。教育とは、既存の秩序に挑み、それを変えてしまうような反抗者を育てることではない。いずれは誰もが――神々と神々を信じる人間すべてが――寄り集まってそのような反抗者を引きずり下ろし、塵芥になるまで滅ぼし尽くす。そうドローナは確信していた。それこそ、この国の歴史から彼が学んだことだった。ラーヴァナやバリ、マハーバリといった者たちの盛衰は、まさにその動かぬ証拠といえた。社会は永遠不変《サナータナ》なのだ。そのような国において、反抗者や変革者が行くべき場所はひとつしかない。そして神々は、そういった反抗者たちを粉砕するため、化身《アヴァターラ》となって地上に現れるのだ。これこそ秩序《ダルマ》だ――そしてこれを守るためにこそ、神々は人の姿となって生まれ給うのだ。
ドローナは少しのことでもスヨーダナを殴り、侮辱的な処罰を受けさせた。頑固な王子がそれでさえも涙を流さぬ日には、究極の罰を与えた――彼とその弟たちを、めしい《アンダ》の子と呼ぶのだ。蛙の子は蛙、正しきことと誤りの区別もつかぬ者、と。そう言ってやればスヨーダナは、従兄弟に対する師匠《グル》の言葉をパーンダヴァ五兄弟が面白がる中、一日ずっと口を閉ざしていた。ドローナはむっつりと顔をしかめながらも、あの少年の中にある危険な魂を砕くことで評価を上げているのは自分だけではない、と思った。彼が引退したら、息子アシュヴァッターマンが王息師範《ラージャグル》となり、新たな世代の王子たちへの助言者を務める。その美しい世界には、ヴィドゥラのようなシュードラ出身の簒奪者の居場所などないのだ。
アシュヴァッターマンがスヨーダナに話しかけているのがドローナの目に入った。ドローナは逆上し、両手が痛むまで自らの息子を打ち据えた。自らの貧困への鬱積した怒り、ヴィドゥラとの衝突、己の恐怖と劣等感を、彼はアシュヴァッターマンの小さな体にすべてぶつけたのだ。わあわあと泣く息子を、ドローナは愛弟子であるアルジュナの隣へと押しやった。アルジュナは師匠の息子の窮状に浮かぶ笑みを押し殺した。ビーマはアシュヴァッターマンを二度つねってみせ、女々しいやつ、とからかった。アシュヴァッターマンはいっそう大泣きし、再び父親に殴られた。
鬱蒼と茂ったマンゴーの木の葉の間から、二揃いの黒い目が一連の騒ぎを見守っていた。師範が息子を殴るのを見ながら、ジャラはエーカラヴィヤに問うた。
「あんな人なのに、まだ生徒にしてもらえるって思うの? カルナみたいな子でも教えないっていうのに。僕たちはニシャーダだぞ。スータよりもずっと下なんだよ」
「黙ってろ、バカ! いちいちうるさいんだよ。俺はあいつから学ぶ。哀れなスヨーダナみたいにあの場にいなくても、ここに座ってるだけで同じことを学べるんだ。俺たちはあいつがアルジュナに教えることをよく見て覚えるのさ。俺がドローナから学ぶことは、誰にも止められやしない――ドローナ本人にもな。そしていつか、あいつのお気に入りのアルジュナを負かして、驚かせてやるんだ」
エーカラヴィヤは振り返り、この臆面もない夢に大笑いするジャラを蹴った。
***
「今日も遅かったわね」
パールシャヴィーは夫の前に簡単な食事を置き、自らも腰を下ろした。
ヴィドゥラは彼女にかろうじて微笑み、不承不承といった様子で食べ始めた。
「もう結構」
やがて彼はお代わりを拒み、立ち上がった。
「息子たちはもう寝たのか?」
パールシャヴィーに渡された乾いた手拭きを使いながら、ヴィドゥラは問うた。
「珍しいことみたいに言うのね。あなたは家に帰ってくるどころか、執務室で夜を明かすことも多いのに。たまに帰ってきたかと思えば、すぐにまた仕事に出てしまう。どうしてこんな働き方をするの?」
「パールシャヴィー、君がそう言えるのは、私たちにどれほどの負担がかかっているか知らないからだ。私はビーシュマ殿に同情を禁じ得ないよ。あのお歳で、疲れ切った身に国のすべてを背負っておられるのだから。だから私の義務として……」
「家族への義務はないの? 偉大なる学者様に、息子たちに対する義務を思い出していただかなくてはいけないかしら? あなたは確かに宰相だわ。でも私たちの暮らしはどう? 私たちには自分のものと呼べる家すらないのよ。召使いの一人もあなたは雇わせてくれない。戦車を使うのは公務の時だけ。せめて執務室との往復を徒歩ではなく戦車にしたなら、時間の節約になって、私たちとも一緒に過ごせるのに。あなたは貧困を楽しんでいるかのようだけれど、私たちは近所の笑いものよ。下級官吏の方がよっぽどましな暮らしをしているわ。あなたは王様の弟なのに、私たちの生活はどう? ビーシュマ殿はご存じないの?」
「何度も話しただろう、パールシャヴィー」
ヴィドゥラは双子の息子が眠る部屋へと急いだ。二人のそばに座り、黙ってその顔を見つめた。
「この子たちのことを考えないと。不安定な時代なのよ。二人とも学業は優秀だけれど、職に就ける見込みはあるの? どんな地位もバラモンに割り当てられているじゃない。私は息子たちの将来が不安だわ」
「パールシャヴィー、私は神を信じているよ。私たちは誰にも不義理をしていない。人の善を信じるんだ。将来を心配しすぎるということは、神への信心が足りないということだぞ」
「なら、あなたとビーシュマ殿はどうして国の将来をこんなに心配するの? 神に任せればいいんじゃないかしら?」
そう反駁した瞬間、パールシャヴィーは後悔した。国に関わることについては、夫はひどく敏感なのに。彼女はヴィドゥラが立ち上がり、無言で寝室に行くのを見送った。
彼女が家事を終えて寝室に入ると、夫は壁に顔を向けて横になっていた。彼女は寝台の端に座り、二人の間の氷を融かすことのできる言葉を探した。
すると彼が突然こちらを向き、言った。
「時々、疑問に思うよ。私の努力はいったい何の役に立つのかと」
パールシャヴィーは彼の手を握った。
「何があったの?」
「いや、別に。貧しい少年を助けてやりたかっただけなんだが、師範《グル》に侮辱されて恥をかいたんだ。この国ではやはり、何でも最後はカーストなんだな」
パールシャヴィーは口を閉ざしているべき時を分かっていた。彼女はただ座り、夫の深い息遣いを聴いた。もうすぐ暁だった。
「私たちの家を建てよう。君の言うとおりだ。私たちが死んだとき、せめて息子たちに住む場所を残せるようにしよう」
その声は小さく、かろうじて聞き取れる程度だった。
パールシャヴィーは何も言わなかった。家を建てよう、という言葉は、もう何度も何度も聞いていた。また夫と言い争いたいとは思わなかった。代わりに彼女は掛布団の下に入り、夫の胸に手を置いた。彼の心臓が指の下で鼓動するのを感じながら、彼女は安らかならぬ眠りに落ちていった。
***
カルナは自らのあばら家の隅に座り、暗闇を見つめていた。いつかアルジュナに挑む方法を考えているのではなかった。このみじめな、無価値な、スータとしての生を終わらせるのに最もよい方法を考えているのだった。
〈本編へ続く〉
***
〈解説〉
『AJAYA』作中では、「スータ」はシュードラのヴァルナに属するカーストの一種として扱われている。「色」を意味するヴァルナは四つに分かれた階級制度のことを指し、『AJAYA』のカルナが属するシュードラ(農民やサービス業の階級)は上から四番目に位置する。最上位の階級であるバラモンのドローナがカルナを指導することを拒んだのは、己が上から二番目のクシャトリヤ(戦士階級)のみを教える身だからだ。
だが作品外でスータを「カースト」と呼んでよいのかどうかについては議論の余地があることを注記したい。
まず、そもそも「カースト」とはインド固有の語・概念ではなく、ポルトガル語由来の言葉がインドの階級・集団区分に当てはめられたものだ。また人類学者の池亀彩によれば、「インド人の生活において最も実感をもって『生きられている』のは、むしろジャーティという集団概念」(池亀 p.74)だという。ジャーティとは世襲的な職業によって規定される集団であり、その内部で婚姻が行われる。『AJAYA』では「ヴァルナ」と「カースト」が別々の語として登場するため、おそらくジャーティに対応するものが「カースト」と呼称されていると考えられる。
とはいえ、スータは現代にはもはや存在しない身分である。一般には「御者」「吟遊詩人」などとされることが多いが、古代における実情を知るには伝承や文献を探るほかない。だがサンスクリット文学者の石原美里によれば、文献に登場するスータ像は、実のところ曖昧で一貫性がないという。石原は論文において、最も古い時代のスータは低身分ではなく王宮の高官であったとされ、後世の者がその記述を頼りに、混合ヴァルナ身分(異なるヴァルナ間の結婚より生まれた子が該当)として確立していったのではないかと論じている。
他方、ヒンドゥー教の聖典『マヌ法典』では、ヴァルナをまたいだ婚姻は禁忌であり、そのような婚姻から生まれた子は身分制度の外に属するとされる(天竺奇譚 p.21)。スータをシュードラとする「マハーバーラタ」のバージョンも多いのは、混合ヴァルナ身分としての記述と、この『マヌ法典』の規定によるものだろう。
いずれにせよ、作品外における実情としてのスータ像は、『AJAYA』作中の「カースト=ジャーティ」構図にきれいに当てはまるものではない(またそもそも「カースト」という枠組み自体が非常に複雑な構造になっており、単純化することは不可能である)ことを認識いただければ幸いである。
参考文献
・池亀彩(2021)『インド残酷物語 世界一たくましい民』集英社新書
・石原美里(2013)「ヴェーダ時代におけるスータと王族」『仏教文化研究論集』15.16
・玄米(2021)『久遠の夢』自費出版
・天竺奇譚(2019)『いちばんわかりやすいインド神話』じっぴコンパクト新書
・Ishihara Misato (2012) “The Sutas in the Epic Mahabharata : Changes of the Figure of the Suta in the Old Traditions”, Journal of Indian and Buddhist Studies 60 (3)
一部先読みは翻訳作業中のもので、完成版では異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
これまで公開した一部読みはこちらから。
クラファン終了まで残り2日。達成金額は1000万(サウザン)超え、次は支援者人数1000人超えを目指しています。
最後の情報拡散にご協力お願い致します。